Songs Except Rock Music & Oldies Songs Part 2
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 Oldies物や完全なRockタイプの曲を除いた曲でジャンルに拘らず、聴き続けて来た好きな曲です。
 順位付けなどはしないで、思いつく好きな曲を(ロック・タイプ以外に)次々と書き記していこうと思います。
 次々と良く聴いていた曲を並べていたら100曲に到達して終いましたので、新たに101曲目から再開という事で、また綴り始めます。

You Can't Run from Love We Should Be Lovers You Gonna Make Me Love Somebody Else A Hurricane Is Coming Tonite 99½
Believe in the Beat Little Child Runnin' Wild It's Been Fun Just the Two of Us Lean on Me
Top of the World Shine on You'll Never Know Ain't That a Bitch Beast of Burden

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 ※Cover Singer (Group) 部分の緑字は持っていない音源

Title Original Singer or Group Cover Singer or Group Song Writer
You Can't Run from Love Eddie Rabbitt (1982's Album "Radio Romance" & `83's Single) Eddie Rabbitt,
David Malloy,
Even Stevens
 
 エディ・ラビットは`60年代中頃にはデビュー経歴が有りながらチャートの常連に成ったのは`70年代中頃で最も人気の高かったのは`80年代(ただ日本での人気は一部のファンのみ?)。エルヴィス・プレスリーに "Kentucky Rain" が取り上げられて知名度が上がったニューヨーク出身のカントリー系シンガー。テネシーでなくニューヨーク育ちという事で都会的なサウンドでカントリー調ソングを多く発表していました。丁度『アーバン・カーボーイ』という映画がヒットしていた頃で彼の歌う曲を『アーバン・カントリー』と呼ばれていた様です。
 POPチャート登場は14曲で1位ヒット1曲を始め10位以内が4曲でしたが、カントリー・チャートでは43曲がチャートイン、うち23曲が1位のヒットと異様なヒット・メイカーでした。どの曲もヒットして当然といった曲ですが、私的には [好み度合い] 70点後半〜80点台が多く、「忘れがたい」曲というのはこの曲が一番です。
 当にアーバン・カントリー!『アンアン』,『ノンノ』から『CanCam』,『ViVi』といった雑誌に人気が以降し出した時代、`80年代を思い出す懐かしさです。この曲、アダルト・コンテンポラリー・チャートでも2位迄上がっていました。



Title Original Singer or Group Cover Singer or Group Song Writer
We Should Be Lovers Phyllis Hyman (1983's Album "Goddess of Love") Joseph Jefferson,
Charles Simmons,
Sherman Marshall

 フィリス・ハイマンは前ページ内で78曲目、79曲目で既に2曲選んでいますが、もう一曲彼女の6作目のアルバム収録曲を。彼女はジャズ・クラブで歌う事から音楽界に入った人ですので、Buddah 時代はゲイリー・バーツやレジー・ルーカス等ジャズ畑プレイヤーのバックで録音していました。(死後に発売された10作目にはジャズ・ヴォーカルの素晴らしい歌唱も有ります)
 人気の出なかったBuddahを離れて、Arista 移籍後にディスコ・ナンバーでヒットを出して一般人気を得ましたが、ディスコ系のみでなくスローやミディアム・テンポで、じっくり、しっとりと歌い上げることが出来るシンガーで大好きなシンガーのひとりです。
 この曲は、シグマ・スタジオ録音らしくフュージョン系サウンドのスィート・ソウルです。アーバン・コンテンポラリーというジャンルに分類されるのでしょうか、コートを羽織りたくなるような季節によく似合います。
レイ・パーカー・ジュニアの "A Woman Needs Love" 等と一緒のテープに入れて良く聴いていました。こういった都会的なスタイルを聴くと上記のエディ・ラビットの曲同様、`80年代前半の時代を思い起こします。まだアメリカ資本だった時代のタワーレコード (今はドコモが筆頭株主) が三宮センター街に有り(その後の関西の大阪店・京都店よりも広面積店舗でした)黒人シンガー物は南部系よりも都会的なものが多く有ったと思います。

Phyllis Hyman / Goddess of Love



Title Original Singer or Group Cover Singer or Group Song Writer
You Gonna Make Me Love Somebody Else (冷たくしないで) The Jones Girls (1979's Album "The Jones Girls") (Kenny Gamble, Leon Huff
 
 1970年代後半はフィリー・ソウルと呼ばれるシグマ・サウンド・スタジオ録音で Philadelphia International レーベルから出されるアルバム、シングルがチャート上位の常連に成っていました。確かに今聴いてもはっきりと覚えている曲が多数あります、そしてヒットした曲は古さを感じない曲が多いです。日本の小室ソングとAVEX と似た部分も有りますね。`79年デビューのジョーンズ・ガールズのこのシングル、ポップ・チャートでは中ヒットでしたがソウル・チャートでは5位まで上がるヒットと成っています。ディスコ、クラブでもかなり流された様です。
 "ソウル・トレインのテーマ" やスリー・ディグリーズのヒット曲を作ったソング・ライター・コンビのギャンブル&ハフ作品で一度聴いたら忘れられない曲です。邦盤シングルの "冷たくしないで" はプレスリーの別曲の方が邦題として圧倒的に有名で、こちらの邦題はほぼ忘れ去られています。



Title Original Singer or Group Cover Singer or Group Song Writer
A Hurricane Is Coming Tonite (恋のハリケーン) Carol Douglas (1974's Album "The Carol Douglas Album" & `75's Single) Alan Bernstein,
Eddie O'Loughlin
 
 イギリスの女性歌手 Sunny が歌ってヒットした "Doctor's Order 恋の診断書" のカヴァーをアメリカでヒット(POPチャート11位、ダンス・チャート2位)させて、一躍有名になったシンガーで初代のディスコ・クィーンと云っても差し支えないキャロル・ダグラスのセカンド・シングルが "A Hurricane Is Coming Tonite 恋のハリケーン" 。本国ではBB誌POPチャートの81位止まりでしたが日本ではかなりヒットしていたように思います。この曲も40数年経ても色あせない軽快さが詰まっています。初期ディスコ・チューンの名曲でしょう。



Title Original Singer or Group Cover Singer or Group Song Writer
99½ (Ninetynine and Half) Alton McClain & Destiny (1978's Album "Alton McClain & Destiny") Carol Lynn Towns (1984's Single) John Footman,
Maxi Anderson

 2020年12月にブレイキン (ブレイクダンス) がオリンピック競技に成ることが決まったと発表されました。ビバップ・ステップのストリート・ダンスがスポーツ競技に認定されたの?と驚きでしたが、この映画は`84年に公開されてその後国内でレーザー・ディスクで映像版が発売されたものを購入して観ました、サウンド・トラック・アルバムも買いました。
 映画『フラッシュ・ダンス』のヒットの後でしたので、主演のジェニファー・ビールスに続いてルシンダ・ディッキーも人気が出てこの映画も結構楽しかったのですがレーザー・ディスクはもう観ること出来ません。
映画の中の一曲では "99½" が一番気に入ってオリジナルのアルトンマックレーン&ディステニィ盤をも購入した事を思い出します。
 ちなみに本国では『Breakin'』のタイトルでしたが、日本やヨーロッパでは『Breakdance』のタイトルでした。

ALTON McCLAIN and DESTINY / More Of YouBreakin' / Sound Track album



Title Original Singer or Group Cover Singer or Group Song Writer
Believe in the Beat Carol Lynn Towns (1984's Single & Soundtrack Album "Breakin' 2 : Electric Boogaloo") Layng Martine Jr.

 映画『Breakin'(Breakdance)』の続編で邦題は『ブレイクダンス2 ブーガルビートでT.K.O !』、サウンドトラック挿入曲の中ではこちらもキャロル・リン・タウンズの "" が一番気に入った曲でした。ブレイクダンス用の曲と云うより普通のアップテンポ・ポップ・ソウル・ソングでしょう。映画内でも屋外でディスコホールで踊る様に多勢で踊っていました。曲としてはこちらの方が好きですが、本国では映画、曲共々前作に及びませんでした。この頃、日本テレビでもダンス系が良く放映されていましたが、ダンサーの村田香織さんが踊りバックでバックダンサー時代の少年隊が踊っていた『ナイト・スクエア(TBS 関西 MBS)』が深夜に放送されていて大好きな番組でした。司会が宮内鎮雄さん、歌手は中村裕美さんとゲストという懐かしい番組です。



Title Original Singer or Group Cover Singer or Group Song Writer
Little Child Runnin' Wild Curtis Mayfield (1972's Album "Superfly") Curtis Mayfield

 `60年代のR&Bヴォーカル・グループで一番好きだったインプレッションズのリード・ヴォーカリストだったカーティス・メイフィールド。ソングライターとしても優秀でインプレッションズ時代後期には黒人問題などを意識したメッセージ性の強い曲を作っていましたが、1970年ソロで独立するとその傾向はさらに増し音楽面ではファンクっぽいリズムを好むように成って行ったようです。
 この曲が収録されたアルバム『Superfly』は映画のサウンドトラックでもあり、映画はアクション物分類ながらスタッフ・キャストもアフリカ系の人たちで観客をもそういった人達に絞った様な想定で製作されています。
 それでも映画はアメリカ全土でヒットし、このサウンドトラックアルバムもビルボード誌ポップチャートで1位になる大ヒットアルバムでした。シングル化は別の曲が3曲出され、うち2曲がトップ10内、1曲が30位台のヒットでした。わたしの気にいった曲はシングル化されなかったこの "Little Child Runnin' Wild"。黒人街で生れた子供たちが充分な親の援助を受けられずに育ち荒くれている様子を歌った歌です。サウンド的にはファンキー色よりも純ソウルっぽい雰囲気を持っています。大好きな曲です。



Title Original Singer or Group Cover Singer or Group Song Writer
It's Been Fun The Emotions (1971's Album "Untouched") Joe Hutchison
 
 Columbiaレーベルに移籍してモーリス・ホワイトと組んで全米ナンバーワン・ヒット "Best of My Life" 等を出し人気ヴォーカル・グループとなったエモーションズですが、デビューは Stax傘下のVoltレーベルからでした。この曲はセカンド・アルバム収録曲でサザン・ロック系で有名なマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオでの録音。
ただ、この曲は南部色はそう感じないで私的にはベティ・ライトを思い起こすようなマイアミ・ソウル的な感じで聴きました。ハッチンソン三姉妹がまだ20歳前後の若い時期の録音なのでハツラツとした伸びる声で`70年代後期から`80年代の全盛期の曲より好きな曲です。

The Emotions / Untouched



Title Original Singer or Group Cover Singer or Group Song Writer
Just the Two of Us (クリスタルの恋人たち) Grover Washington Jr. & Bill Withers (1981's Single) Toshi Kubota with Caron Wheeler (1996's Single)
&Others
Bill Withers,
Ralph MacDonald,
William Salter

 フュージョン畑のサックス奏者 Grover Washington Jr. のインストゥルメンタル・アルバムの中で一曲だけ Bill Withers が曲の提供とヴォーカル参加した曲ですが、7分越えの曲のサックスソロ部分をカットして4分未満に編集、ソフト&メロウなヴォーカル曲としてシングル化されました。それでもシングル盤のクレジットは Grover Washington Jr. のみ、その後全米チャートを駆け上がりPopチャートでも2位迄上がりました。そこで初めて、ヴォーカル担当のビル・ウィザースが認識されてその後は、and Bill Withers や with Bill Withers と記される様に成りました。わたしの買ったのもビルのベスト物編集アルバムです。グローバー・ワシントン・ジュニア盤は Elektra レーベル発売でしたが、ビルの『Greatest Hits』盤は Columbia からの発売で当時は全く別の会社から出ていました。元々はソウル・シンガーなのに最新ヒットが邦題タイトルに「クリスタル」が付いたものだから、ガラス瓶のデザインが… と思いきや米盤、英盤もおなじデザインでした。
 トップ収録曲のイメージ合ってはいる感じですが、他の曲との兼ね合いもあり、個人的には富裕層感が出すぎて気に入らないデザインでした。カヴァーは久保田利伸さんとキャロン・ウィーラーのデュエット物がありました。

Bill Withers Greatest Hits


Title Original Singer or Group Cover Singer or Group Song Writer
Lean on Me Bill Withers (1972's Single & Album "Still Bill") Crystal Gayle (1981's Album)
& Others
Bill Withers

 ソウル・シンガー、ビル・ウィザースは上記のグローバー・ワシントン・ジュニアとの共演シングルが全米2位のヒットと成っていますが、自身の完全ソロでも1位曲が有り、その曲がこの曲。ポップ・チャートのみならず本来のソウル・チャートでも1位に成るヒットです。「僕を頼ってよ」と優しく優しく語りかけて貰える永く後世に残って行きそうな名曲です。



Title Original Singer or Group Cover Singer or Group Song Writer
Top of the World Carpenters (1972's Album "A Song for You" & 1973's Single) Lynn Anderson (1973's Single)

& Oters
Richard Carpenter, John Bettis

 日本でも一時代を築いた兄妹デュオ、カーペンターズ。ロックを中心に聴いていた一時期は、「良家の音楽」的な感じがして進んで聴くことはしませんでしたが、ほんの短い期間で幅広く聴くリスナー・音楽ファンに成っていました。
 今でこそカラオケ・ハウスやカラオケ喫茶で歌われる洋楽ソングの中でカーペンターズ・ソングはトップ10内に必ず入ってくるほどです。しかし`70年代前半に日本で登場したカラオケは`70年代後半には一般庶民の娯楽に成っていましたが、配信選曲でなくソフトの中に曲が入り、歌詞ブックを見ながら歌う時代は、洋楽などは無く、`70年代新作歌謡曲など勿論入っていません。ソフトに入っていた曲の九割ほどは軍歌・戦時歌謡!若者世代だったわたしは歌う事すらできず聴かされるばかりでした。戦争経験者オジサマ族の楽しみだった様です。カーペンターズを聴くとその様なカラオケ初期の時代が浮かびます。この曲はポップ・カントリー調で彼らが持つ全米1位ヒット3曲の中のひとつです。原曲は4枚目のアルバム収録ヴァージョンですが、リン・アンダーソンがカヴァーしてカントリー・チャートでヒットしたのをきっかけに、若干編曲・編集を加えてシングルカットされています。ヒット・ヴァージョンはシングル盤の方です。
 わたしにとっても大好きな曲です。カレンがまだドラムスを叩きながら歌っていた時代の曲です。



Title Original Singer or Group Cover Singer or Group Song Writer
Shain on L.T.D. (1980's Album "Shine On" & Singles) Richard Kerr,
Jeffrey Osborne,
Billy Osborne

 "Kickin' Back" というファンキー・ナンバーで気に入ったソウル系の黒人バンドで『Love Magic』というアルバムを買いましたが、この曲、何度も聴くとさすがに飽きが来るのですね。(今でも好きな曲に変わりありませんが)
 その点一作前のアルバムのタイトル・ナンバーはメロウなソウル・ナンバー。L.T.D.というバンド、最初にヒットした曲が "Love Ballad" だった様にメロウなバラード曲も数曲残していました。その中でも特に好きな曲がこの曲、"Shine on" 。こちらはBB誌 US-R&Bチャートで19位 POPチャートで40位と中ヒット程度でしたが、こうした従来のヴォーカル・グループ並のコーラス・ワークを聴かせてもらえると、単にファンク・バンドで語るには惜しい気がするバンドでした。この曲の作者のひとりでもあるリード・ヴォーカルのジェフリー・オズボーンはこの後脱退ソロに転向しています。


Title Original Singer or Group Cover Singer or Group
You'll Never Know (センチメンタル・ナイト) Hi-Gloss (1981's Single) Giuliano Salerni, Phil Hurtt

 この曲もディスコ・ミュージックながらメロウな曲で、聴けば聴くほど味が出てくる渋い曲です。BB誌のダンスソング部門のチャートで最高位が31位でしたので中ヒットレベルだったのですが、哀愁を帯びたサウンドが日本人にも受けたのか、邦題の「センチメンタル・ナイト」と邦盤ジャケットの夕暮れのニューヨーク写真がマッチして、日本ではかなり流れていた気がします。わたしの購入盤は`92年CD化後の盤ですが、時を経て今聴き直しても懐かしさと新鮮さが入り混じる良い感じを味わえます。
Hi-Gloss はBonita TaylorとPhillip Ballou という人がリード・ヴォーカルを担当し、Luther Vandross 他がバッキング・ヴォーカルを担当していますが、バック演奏陣はスタジオ・ミュージシャンが集まった短期間ユニットだったとの事。

Bill Withers Greatest Hits


Title Original Singer or Group Cover Singer or Group Song Writer
Ain't That a Bitch Johnny "Guitar" Watson (1976's Album) Johnny "Guitar" Watson

 ジョニー・ギター・ワトソンはブルース・マンで Chess や OKeh といったブルース系レーベルから作品を出していましたが、この曲をタイトル曲とする同名アルバムは DJM というレーベルから出て、この曲は完全にファンク・ミュージックに成っていました。そしてこれ以降のアルバムはファンク系路線で進み、アルバムカバーの写真もキザでチャラいいで立ちの物が続いています。この曲暫くは気に入っていて良く聴いていたのですが、他のファンク・ミュージックより軽く感じて次第に飽きて終い,長く聴かなかったのです。ところが一度は気に入った曲、久しぶりに聴いてみたらやっぱりチャラくていい加減な投げやり的な歌い方ながら、スィング感がやけに気持ち良いのです。時が経ってから聴き直して、以前に気に入ったのは間違いじゃなかったと思えた曲でした。



Title Original Singer or Group Cover Singer or Group Song Writer
Beast of Burden The Rolling Stones (1978's Album "Some Girls" & Single) Jaggar-Richards

 とっくにR・ストーンズのこの曲の事をページ内で触れていたと思っていました。ストーンズは「大好きな」と迄は行かないですが、「普通に好きな」バンドです、そして重要なバンドですので20世紀中の作品は勿論21世紀に入ってからのアルバムも一応すべて買い続けています。それでもやはり`60年代後半〜`80年代中頃までの曲に好きな曲が多いです。
 `70年代後半発売のアルバ『Some Girls』から正式メンバーとしてロン・ウッドが参加していますが、キース共々ロンもガンガン弾きまくるリード・ギターリストタイプでなく、リズム感が抜群で味があり、バンド内に必ず存在して欲しくなる様な人ですが、このアルバム全体で流れるリズムリフその雰囲気がよく出ていました。
 そしてこの曲も単純なリズムで進んでいきますがアメリカン南部サウンド的な作りでサザーン・ソウル好きなわたしにはドはまりの大好きな曲の一曲に成っていました。最初にシングルカットされた "Miss You" が全米チャート、1位になり、この曲は8位止まりでした。どちらもディスコティックで流れても違和感ない曲ですが、当時のアメリカ人たちには "Miss You" が若干アーバン感覚でこの曲からカントリー感覚な雰囲気を感じたからでしょうか?




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