今では、好きな音楽ジャンルの最上位に来るのはブルースやソウル・ミュージックなどのブラック・ミュージックですが、それらよりも先に聴いていたブラック・ミュージック・ジャンルがモダン・ジャズで、高校三年生頃から大学浪人時代にはかなりの頻度でジャズ喫茶へ通っていました。 (その頃以前に聴いていた洋楽はカントリー系でした。自身の両親が[戦後直後の時代に青春を過ごした世代]であったという人なら分かると思いますが、やたら進駐軍が多かった時代で、彼ら軍人の白人系はカントリー-ソング好み、黒人系はジャズを好んで聴いていたと想像できます。その両方が戦後の日本音楽界に影響を与えていた様です。そして、わたしの育った京都にはカントリーを流す喫茶店が長期に渡り複数残っていた程で、特にカントリーが好まれていたと思えます。我が家のラジオからはカントリーやアメリカ民謡などが流れていた記憶があります、ただ両親は最初のうち[洋楽全体をひっくるめてすべてをジャズ]と呼んでいましたが。) 今の時代の10代はネット経由で配信音楽や動画を聴ける(見られる)事出来ますが、昔の10代世代が邦楽以外を聴くためには家のラジオか音楽喫茶に足を運ぶかしかありませんでした。 洋楽好き若者がテレビを見ないのは今も昔も一緒の様です。 ジャッキー・マックリーン項で記した記憶もありますが、ジャズ好きに成ったキッカケはマイルス・ディヴィスの『Kind Of Blue』を聴いた時からでしたので、漸く自身でレコードが買えるように成ってからはマイルスのアルバムを中心にジャズLPを買っていました(『Bitches Brew』迄は全部揃えましたのでジャズ関係ではマイルス盤が一番所持数多いです)。そして、マイルスがロック志向に行くまでのジャズ・マン時代に自身のコンボで育てて巣立って行ったミュージシャンたちを中心に聴き続けていきました。別ページを作ったジャッキー・マックリーンもその一人で最も好きなジャズ・マンに成っています。 マイルスやジャッキー・マックリーンなどから当初はジョン・コルトレーン、リー・モーガン、ソニー・ロリンズなどほぼホーン楽器奏者のリーダー・アルバムが中心でリクエストなどして聴いたいました。 そう、わたしにとってジャズと言えば、ホーン楽器が中心であったジャンルでした。 それはクラシック音楽ちえば管弦楽器がロックと言えばギターとドラムスの楽器音が、その良さを知らせてくれたのと同じような感覚でした・・・ その様な時代から数年が経ち、少しずつ自前でレコードを買えるようになってきた年齢時にバッキングを努めていたピアニストがリーダーを務めるジャズ・アルバムも少しは手にするようになりました。 最初はやはりマイルス・デイヴィスとジャッキー・マックりーンの共演者だったウイントン・ケリー、レッド・ガーランド、ソニー・クラークなどからで、いわゆるハード・バップ系の有名アルバムが主で、次にマッコイ・ターナーやキース・ジャレットなどモード・ジャズ時代のピアニストたち。 ただ、わたしがジャズ界における昔を遡って聴いていた時代には、アメリカのジャズ界は既に熱気のあったハード・バップ、モダン・ジャズなどの主流派時代が終わりクロスオーバーとかフュージョンと呼ばれる音楽の時代に移っていた時代だったのです。 徐々に軽さを感じるジャズの世界からもっと熱さを感じられるソウル・ミュージック(ブラック・ミュージック系では)やHR/HMと呼ばれる[のめり込める音楽]に向かっていきました。(その時代でも普通に洋楽Rock/Popsはビルボード・チャートなどを参考にずっとずっと聴き続けていました) そして十数年が過ぎて日本のバブル景気最高潮に達していた頃の`88年、日本のAlfa レーベルから発売されたケニー・ドリューのアルバムが日本で大ヒットしました。日本のタイトルが『パリ北駅着、印象』。 熱くディープな`50年代`60年代の主流派ジャズ満載だった頃から比べたら、「イージー・リスニングに傾きすぎじゃないの?」、「 これがジャズ?」と敬遠してしまいそうな演奏でした。 ただ、そこにはピアノ本来の音色の美しさを再認識させられる音が流れていました。 ヨーロッパで活動しているピアニストの奏でるピアノの音色が「こんなにも叙情的・詩情的で繊細さを感じる物に変化しているの!」って驚きました。 ビル・エヴァンスやジョン・ルイス等も繊細な音色を感じましたがそれでもどこかにアメリカンっぽいところがありました。この時代のケニーの音色にはヨーロッパにある透明な風を感じました。部分的にはヒーリング系ピアニストのジョージ・ウィンストンの持つ澄んだ風を感じました。 暗い地下室で熱心に聴いていた10代の熱さが年齢をいくつか越えて、明るい処で静かに聴くジャズも良い物だと・・・、「ピュア・ジャズでなくとも一種の音楽ジャンル、ライト・ジャズで良いんじゃないの?」と。 バブル崩壊、昭和から平成へ、社会の変化に自身の年齢。時代の流れと共に聴き方・聴く音楽が変化して行くのがわかります。 `60年代前半からアメリカのジャズ・マンたちの何人かはヨーロッパへ出向いて演奏して、その地でそのまま活動を始めているプレイヤーも何人かいた様ですし、ヨーロッパで移住した人、アメリカへ戻った人などの多く(特にピアニスト)がモダン・ジャズ主流派のサウンドを維持しながらも詩的な雰囲気を醸し出して凄く気に成りました。 それは既にクロスオーバーとかフュージョンと呼ばれる音楽の時代に移って行った`70年代中頃から始まっていた様です。その時代、オーソドックスな主流派のモダン・ジャズを追い求めていた人たちは、その頃から静かに広がって行ったヨーロッパのジャズ・シーンに目を向けていたのでしょう。わたしは遅ればせながらリード楽器としてのジャズ・ピアノの魅力を再認識、昭和から平成に変わった頃の`90年代以降は結構ジャズ・ピアニストたちのリーダー・アルバムを購入しています。 数えてみてアルバム所有数10枚を超えるピアニストたちの共通点はすべて、最初はニューヨークが出発点でプロ活動を始め、その後にヨーロッパへ渡りヨーロッパのジャズ界に身を置いたピアニストばかりでした。 それは、ケニー・ドリューとフレディ・レッド、そしてミシェル・サルダビーの三人です。フレディ・レッドのみアメリカへ戻っていますが,あとのふたりはヨーロッパ住まいで過ごしています(いました)。 ケニー・ドリューはデビューが`50年代で尚且つ発表作品数が多くて入手数と発表数の率が低いですが、長い活動のわりに発表数が少ないフレディーレッドとデビューが遅いミシェル・サルダビーは発表作品数の八割〜九割ほどのアルバムを聴いていそうです。 |
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