Title | Singer or Group | Original Singer or Group | Song Writer |
Midnight Train to Georgia (夜汽車よ! ジョージアへ) | Gladys Knight & the Pips (1973's Single) |
Jim Weatherly (1972's Album)
|
Jim Weatherly |
グラディス・ナイト&ザ・ピップスが日本で有名になるきっかけとなった曲です。彼らのオリジナル・ヒットだと思っていました。文献等によるとオリジナル・リリースはジム・ウェザリーの "Midnight Plane to Houston" でホイットニー・ヒューストンのお母さん、シシー・ヒューストン(Cissy Houston) が録音した際に "Midnight Train to Georgia" と乗り物と行き先を変えた歌詞にしたそうです。 ただ、さらに調べると(深く調べる性格なので)シシーの音源は録音後は暫くお蔵入りでピップス盤が二度目のリリースの様です。シシーのヴァージョンはピップスのヒット後に発表されています。 ソロ・シンガー。ヴァージョンでなくコーラスの掛け合いなどが絶妙でこのバック・コーラスがあったからこそヒットしたのでしょう。モータウンレーベルから、ブッダ・レーベルに移籍して初の大ヒットでした。 |
Title | Singer or Group | Original Singer or Group | Song Writer |
Lambada |
Kaoma (1989's Single & Album "World Beat") | Los Kjarkas (1981's Album "Canto a la Mujer de mi Pueblo") | Chico de Oliveira, Ulises Hermosa |
日本のバブル期真っ只中、日本を始め世界で大ヒットしました。ヒットさせたのはカオマというフランスで結成された人種混合バンド。オリジナルはボリビアのグループ Los Kjarkas の "Llorando se fue 邦題:泣きながら" という曲なのにカオマ側は作者名を [Chico de Oliveira, Jacky Arconte] とメンバーの中のダンサーとギターリスト名でクレジットしていました。ロス・カルカス側から盗作問題で訴えられましたが、著作権利認証で和解したという曰くつきの曲。ポルトガル語の歌詞に変えたシコ・デ・オリヴェイラとウリーセス・エルモーサが "Lambada" の作者ということになります。 この [Lambada] というのは南米発祥のダンスの名前だという事です。男女ペアで下半身をスリ寄せ合いながら踊る日本人には驚きのダンスでした。ただ、曲は確実に印象的でディスコに行かなくても聴くだけで愛着の湧く曲です。 |
Title | Singer or Group | Original Singer or Group | Song Writer |
Stop The Music | Lenne & the Lee Kings (1964's Single) | Dick Jordan (1963's Single) | Westlake, Subostky A.Hoffman |
この曲もスェーデンのロック・バンド、レーンとザ・リー・キングスがオリジナルだと思っていました。この後、デンマークの The Hitmakers がカヴァーしてこちらもヒットしたのも勿論知っていましてこちらの方はCD時代に成り「栄光のラジオ・デイズ・ヒッツ 」というオールディーズ編集盤に収録されているのを入手しましたが、ディック・ジョーダン盤はありません。聴いた二種の中では確実に最初のザ・リー・キングス盤の方が渋くて魅力的です。演奏自体はヒットメイカーズの方が時代的に進んでいたのかも知れませんがヴォーカルの魅力が全然違います。「 I took my baby to dance tonight〜」この歌いだし、ゾクッとくるこの.若干枯れたレーンの方が断然良いです。 |
Title | Singer or Group | Original Singer or Group | Song Writer |
Fields of Gold | Eva Cassidy (1996's Album "Live at Blues Alley") | Sting (1993's Album "Ten Summoner's Tales") | Sting |
エヴァ・キャシディ、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.で生まれた米国女性歌手でギターリスト。ただ、人気は本国よりもイギリスを中心としたヨーロッパで高い人です。ソングライターではないのでカヴァー・ソングが多いのですが、その歌唱力・表現力はジャニス・ジョプリンを思い起こさせます。ジャニス同様、ブルース、フォーク、ジャズ、ゴスペルなどジャンルを問わず自身の歌に仕上げてしまう凄いシンガーです。この "Fields of Gold" は the Police 解散後(後年一時期再結成)のスティングのヒット曲。エヴァは '聴き入らせる歌' といった感じで聴く者に入り込んできます。ほかの曲でもそうですがホント凄いです。(33歳の1996年11月2日にガンで亡くなられました) |
Title | Singer or Group | Original Singer or Group | Song Writer |
Sunshine | Scott Walker (1973's Album "Stretch") | Mickey Newbury (1973's Single & Album) | Mickey Newbury |
ウォーカー・ブラザース解散後の`60年代後期のスコットはジャック・ブレルの楽曲等を多く歌い、アルバムをイギリスのヒット・チャート上位を賑わしていました。しかし後年、実験的なアルバム製作をするようになり、多くのミュージシャンに尊敬される様には成りますが、`70年代前半の数年間は目立った活躍はなかった時期に成ります。渋い歌声と歌唱力を活かし聴かせるシンガーとしてアルバムを制作していた時期です。このアルバムはロンドン録音ですが、所々にアメリカの自然を感じる曲が多く収録されています、(次作の『We Had It All』というアルバムも同様です) 。この時期のスコットが私的には好きです。エルヴィス・プレスリーを思い浮かべます。 この "Sunshine" はフォーク・カントリー系のSSWミッキー・ニューベリーの曲でBB誌カントリーチャートで53位位迄しか上がらなかったそれほど知れ渡った曲でもないのにスコットは選んで吹き込んでいます。空気の綺麗な自然の中を歩いているような清々しい気持ちに成る曲です。 |
Title | Singer or Group | Original Singer or Group | Song Writer |
Hang on Sloopy | The McCoys (1965's Single & Album "Hang on Sloopy") | The Vibrations (1964's Single as "My Girl Sloopy") | Wes Farrell, Bert Berns |
後にリック・デリンジャーとして、強烈な歌詞を連発しながらアイドル的なロック・ミュージシャンに成るリチャード・ゼリンガーが17歳の時に弟のランディ達と組んだバンド、マッコイズで吹き込んだ全米No.1ヒット。元は黒人グループ、ヴァイヴレーションズの曲でBB誌30位内に入るヒットを出していた曲です。ジェフ・ベックが加入後のヤードバーズもアルバム内で収録していました。ただ、この曲を世界中に知れ渡らせたのはマッコイズでしょう。そして一躍バンド自体も人気者に成りましたが、その後のヒット曲も他人のカヴァーが主でした。 |
Title | Singer or Group | Original Singer or Group | Song Writer |
Let's Live for Today | The Grass Roots (1967's Single & Album "Let's Live for Today") | The Rokes (1967's Single as "Piangi con me") | Michael Julien, Mogol, David Shapiro |
ソングライターとして成功していたP.F.スローンとスティーヴ・バリがファンタスティック・バギーズに次いで組んで作ったバンド、グラス・ルーツながら最初の大ヒット曲(BB誌8位)は他人の曲のカヴァーでした。その曲がイギリスで人気の出なかったロックバンド、ロークスがイタリアに渡ってイタリア語で吹き込んだ曲という異色もの。その曲に英歌詞を付けて歌いヒットさせています。(日本語の歌詞を付けて歌ったのはGSバンドテンプターズでこの曲も日本で大ヒットしています) グラス・ルーツ盤ライナーによるとロークスのイタリア語オリジナル・ヴァージョンは "泣いておくれ" という邦題で発売されていたらしいです。あちらこちらでヒットしている事からも判る様に良くできた曲です。 |
Title | Singer or Group | Original Singer or Group | Song Writer |
Carifornia Sun | The Rivieras (1964's Single) | Joe Jones (1960's Single) | Henry Glover |
リヴィエラズというグループは [South Bend Central High School] という米ハイスクールの学生たちが作ったロック・グループでオリジナル・ナンバーはなくカヴァー曲を演奏していましたが、ジョー・ジョーンズが`60年に発売して`61年にBB誌のチャート下位の方にチョッコと登場したほぼ無名の曲を5位迄上がるヒット曲に押し上げてしまいました。多くのミュージシャンがカヴァーするまでになり今やサーフィン・ミュージック、サーフ・ロックの代表曲です。 オールディズ物を聴き漁っていた時期に知った曲ですが、わたしが持っているカヴァーだけでも、アネット・ファニセロ、フランキー・アヴァロン、トミー・ジェイムス&シャンデルズ(ションデルズ)など、持ってはいませんが有名どころではラモーンズなどもカヴァーしている有名曲です。 |
Title | Singer or Group | Original Singer or Group | Song Writer |
Easy Loving | Bo & Ruth (1976's Album "Bo Kirkland And Ruth Davis") | Freddie Hart (1971's Single) | Freddie Hart |
この曲は‘71年にBB誌カントリー・チャートで1位、ポップチャートでも17位のヒットだった様ですが、日本では話題にも上らなかった曲でした。わたしが最初に聴いたのはマイク・ジェイムス・カークランドとルース・ブラウンからなるR&B/Soulデュオの Bo & Ruth のヴァージョンでした。Bo & Ruth は`77年に "You're Gonna Get Next To Me" という曲が本国ではなくイギリスのディスコ・シーンでかけられたのがきっかけでヒットしたことで知られ、わたしも知ることに成ったデュオですが、アルバムは一枚のみの発売。その中に入っていたのがこのカントリー・ソングをサザーン・ソウル風に仕上げた曲でした。中古で入手したLPだけでなく2014年に国内CD化された際も購入しています。 |
Title | Singer or Group | Original Singer or Group | Song Writer |
Chariot (愛のシャリオ) I Will Follow Him |
Petula Clark (1962's Single) Little Peggy March (1963's Single) |
Franck Pourcel (1961's Album "Amour, Danse, Et Violons") |
Franck Pourcel (J.W.Stole), Paul Mauriat (Del Roma)
Jacques Plante (French) Arthur Altman, Norman Gimbel (English) |
ペギー・マーチ (初期はリトル・ペギー・マーチ) が全米1位にヒットさせた "I Will Follow Him" がペテュラ・クラークがフランスやベルギーでヒットさせた "Chariot 邦題: 愛のシャリオ" の英語ヴァージョンだというのは割と知られていましたが、この曲のオリジナルは作者のフランク・プルゥセルが器楽曲として吹き込んだ物だったと云うのをかなり後に成ってから知りました。プルゥセルとポール・モーリアとの共作でしたが、二人とも偽名での発表だったとの事ですが、さすがのメロディ・メーカーらしい曲です。ポール・モーリアも後年に自身の楽団で録音しましたが、その時の邦題が「恋のシャリオ」でこちらの方が現在の仏語版邦題で定着している様です。ただ、アメリカや日本ではペギー・マーチ・ヴァージョンの方が大ヒットして、ペギー・マーチは日本語歌詞でも録音しています。他の部分が日本語なのに「i live him と i will follow him」の部分だけが原語のままでそこがまた印象的なので邦題も "アイ・ウィル・フォロー・ヒム" として定着しています。 |
Title | Singer or Group | Original Singer or Group | Song Writer |
Sealed with a Kiss (涙のくちづけ) | Brian Hyland (1962's Single) | The Four Voices (1960's Single) |
Peter Udell, Gary Geld |
甘く切ないティーンポップス・オールディーズのひとつで、長い間 "ビキニスタイルのお嬢さん" で有名なブライアン・ハイランド盤(全米3位ヒット)がオリジナルでレターメン盤の方が日本でヒットした…と思っていました。ブライアンの時の邦題は原題そのままカタカナ表示でしたがレターメン盤で "涙のくちづけ" が定着したようです。レターメンのは日本でのみのヒット。本国ではゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズ盤が19位迄上がるヒットと成っています。 想いを込めた手紙の封筒にキッスで封印… アメリカでも`60年代は良い時代だったのですね。 |
Title | Singer or Group | Original Singer or Group | Song Writer |
Baby Face (ベビー・フェイス-) | Brian Hyland (1960's Album & `61's Japnese Single) | Jan Garber & his Orchestra with Benny Davis (1928's Record) Little Richard (1958's Single) |
Harry Akst, Benny Davis |
もう一曲ブライアン・ハイランドがオリジナルだと思っていた曲がこの "Baby Face" 。オリジナルはなんとLP盤もEP盤も発売されていないSP盤時代の楽曲でヤン・ガーバー率いるオーケストラに作詞者のベニー・デイヴィスがコーラスを付けた物が最初のレコードだったという事です! そのうえ日本で有名なブライアン・ハイランド盤は本国でシングル化されずに日本でのみのシングル化だったということも驚きでした。 最初にBB誌にチャートインさせたのはロックンロール・シャウターのリトル・リチャードでかなりロックっぽく成っていますが日本ではリチャード盤はヒットせず。独特の楽しい間奏が耳に残りやすいブライアン盤がずっと残っています。日本のシングルはベイビーではなく "ベビー・フェイス" と昔の日本式発音に成っていました。最初東芝音楽工業から出されていましたが、原盤がMCAに入った為、日本ビクターに移り「ビキニ〜〜」のB面扱いで数度再発されていました。 |
Title | Singer or Group | Original Singer or Group | Song Writer |
A Groovy Kind of Love (恋はごきげん) | The Mindbenders (1965's Single) | Diane & Annita (1965's Single) |
Carole Bayer Sager Toni Wine Muzio Clementi |
マインドベンダース、Wayne Fontana & the Mindbendersというバンド名で1965年に "Game of Love" という大ヒット曲を放った英ビート・バンドが元々のバンドで、リード・ヴォーカリストで人気者だったウェイン・フォンタナがソロで活躍するために脱退。残された (分解当時は地味) なメンバーだけで活動継続していましたが、この "A Groovy Kind of Love" が大ヒット。マインドベンダース自体はその後に有名なバンド 10CC へと変身していきました。 このドリーミィーなメロディーを持つ曲はイギリスの作曲家 Muzio Clementi (ムツィオ・クレメンティ) の「6つのソナチネ作品36 ト長調 No.5」の「ロンド」が引用されているという事です。歌詞はその後自身も歌手としてデビューするキャロル・ベイヤー・セイガー17〜18歳時の作品でした。 ずっと、マインドベンダースで知られていた曲でしたので彼らが最初だと思っていましたが、同年にアメリカの ダイアン&アニータ と云う女性デュオの発売が最初だった様です。ただ、この曲何故か英米で発売されずにフランスのみでの発売だったらしく、そこで英国のグループ、マインドベンダースが取り上げたら大ヒット。 マインドベンダースの名前はポップス史上に長く残っています。 |
Title | Singer or Group | Original Singer or Group | Song Writer |
Kisses Sweeter than Wine (ワインより甘いキッス) | Peter, Paul & Marry (1966's Album "The Peter, Paul and Mary Album" & 7' LP) | The Weavers (1951's Single) | Traditional Pete Seeger, Lee Hays Ronnie Gilbert, Fred Hellerman |
ピーター・ポール&マリー(PPM)で知った曲ですが、オリジナルはフォークソング界の最重鎮ピート・シーガーが在籍していたザ・ウィーバーズだったという事でした。更に素材音はアイルランドの民謡だったという事。確かにどこかに懐かしさを感じてしまうメロディーを持っていて民謡のメロが素材と言われれば納得です。 PPMは`60年代が活躍の年代だったのですが、フォーク・ソングがロック化して、忘れ去られていった`70年代突入後も以後に台頭してきたカーペンターズと並んで[健康的・優等生] タイプの代表ミュージシャンとして人気ありました。(別にロックやソウル・ミュージックが不良生向きだとは思わなかったですが…) 歌詞はウィーバーズのメンバーが書いていますが、庶民的に「小さな幸せ」を大事にしようというほっこりしたメロディーにピタッとハマって微笑ましいです。 |
Title | Singer or Group | Original Singer or Group | Song Writer |
It's Only A Paper Moon | Nat King Cole (1944's Single) | Paul Whiteman & his Orchestra featuring Peggy Healy (1933's SP) |
Yip Harburg & Billy Rose, Harold Arlen |
とても古い歌です。まだ、LPアルバムを少ししか買う余裕のなかった時期に中古盤で買ったナット・キング・コールのアルバム。その中でこの曲と "(Get Your Kicks On) Route 66" の2曲がジャズ・ヴォーカルと云うジャンルに興味を持ったキッカケの曲です。スィングするピアノに乗ったスィンギーな唱法。フランク・シナトラもそうですが、後年はポピュラー・ソング・シンガーとして活躍しているシンガー、初期はジャズの世界から出てきた人です。二人とも初期の頃の録音は大好きで後年になりには結構買いました。 インストゥルメンタル・ヴァージョンも多数あり、マイルスを始めジャズ・コンボ演奏物も多数ある曲です。 1973年の映画『Paper Moon』内でもWhiteman のオーケストラ曲が使われていました。映画自体も記憶に残る素晴らしい映画です。 |