Cover Hit Songs from My Favorite
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 カヴァー・ヴァージョンの方が知れ渡っていて、尚且つわたしがオリジナルの音源を入手していない曲
中から特に忘れられない、印象的な歌唱・演奏で大好きな曲です。

Midnight Train to Georgia Lambada Stop The Music Fields Of Gold Sunshine Hang on Sloopy
Let's Live for Today Carifornia Sun Easy Loving Chariot Sealed with a Kiss Baby Face
A Groovy Kind of Love Kisses Sweeter than Wine It's Only A Paper Moon Come on, Lets Go Nobody But Me Zing Went The Strings Of My Heart
I'll Kiss Your Teardrops Away When My Dreamboat Comes Home Down By The Riverside Rose Garden Bumble Bee There's a Kind of Hush
Moody River Twist and Shout Two More Bottles of Wine Someday Soon Frenesi House Of The Rising Sun
Don't Let Me Be Misunderstood  In My Room Love Me Tonight       


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Midnight Train to Georgia (夜汽車よ! ジョージアへ) Gladys Knight & the Pips (1973's Single)
Jim Weatherly (1972's Album)
Jim Weatherly

 グラディス・ナイト&ザ・ピップスが日本で有名になるきっかけとなった曲です。彼らのオリジナル・ヒットだと思っていました。文献等によるとオリジナル・リリースはジム・ウェザリーの "Midnight Plane to Houston" でホイットニー・ヒューストンのお母さん、シシー・ヒューストン(Cissy Houston) が録音した際に "Midnight Train to Georgia" と乗り物と行き先を変えた歌詞にしたそうです。
 ただ、さらに調べると(深く調べる性格なので)シシーの音源は録音後は暫くお蔵入りでピップス盤が二度目のリリースの様です。シシーのヴァージョンはピップスのヒット後に発表されています。
 ソロ・シンガー。ヴァージョンでなくコーラスの掛け合いなどが絶妙でこのバック・コーラスがあったからこそヒットしたのでしょう。モータウンレーベルから、ブッダ・レーベルに移籍して初の大ヒットでした。

Midnight Train to Georgia the Pips


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Lambada
Kaoma (1989's Single & Album "World Beat") Los Kjarkas (1981's Album "Canto a la Mujer de mi Pueblo") Chico de Oliveira, Ulises Hermosa

 日本のバブル期真っ只中、日本を始め世界で大ヒットしました。ヒットさせたのはカオマというフランスで結成された人種混合バンド。オリジナルはボリビアのグループ Los Kjarkas の "Llorando se fue 邦題:泣きながら" という曲なのにカオマ側は作者名を [Chico de Oliveira, Jacky Arconte] とメンバーの中のダンサーとギターリスト名でクレジットしていました。ロス・カルカス側から盗作問題で訴えられましたが、著作権利認証で和解したという曰くつきの曲。ポルトガル語の歌詞に変えたシコ・デ・オリヴェイラとウリーセス・エルモーサが "Lambada" の作者ということになります。
 この [Lambada] というのは南米発祥のダンスの名前だという事です。男女ペアで下半身をスリ寄せ合いながら踊る日本人には驚きのダンスでした。ただ、曲は確実に印象的でディスコに行かなくても聴くだけで愛着の湧く曲です。

Kaoma World Beat  song Lambada


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Stop The Music Lenne & the Lee Kings (1964's Single) Dick Jordan (1963's Single) Westlake, Subostky
A.Hoffman

 この曲もスェーデンのロック・バンド、レーンとザ・リー・キングスがオリジナルだと思っていました。この後、デンマークの The Hitmakers がカヴァーしてこちらもヒットしたのも勿論知っていましてこちらの方はCD時代に成り「栄光のラジオ・デイズ・ヒッツ 」というオールディーズ編集盤に収録されているのを入手しましたが、ディック・ジョーダン盤はありません。聴いた二種の中では確実に最初のザ・リー・キングス盤の方が渋くて魅力的です。演奏自体はヒットメイカーズの方が時代的に進んでいたのかも知れませんがヴォーカルの魅力が全然違います。「 I took my baby to dance tonight〜」この歌いだし、ゾクッとくるこの.若干枯れたレーンの方が断然良いです。

Stop the Nusic Lenne{the Lee Kings


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Fields of Gold Eva Cassidy (1996's Album "Live at Blues Alley") Sting (1993's Album "Ten Summoner's Tales") Sting

 エヴァ・キャシディ、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.で生まれた米国女性歌手でギターリスト。ただ、人気は本国よりもイギリスを中心としたヨーロッパで高い人です。ソングライターではないのでカヴァー・ソングが多いのですが、その歌唱力・表現力はジャニス・ジョプリンを思い起こさせます。ジャニス同様、ブルース、フォーク、ジャズ、ゴスペルなどジャンルを問わず自身の歌に仕上げてしまう凄いシンガーです。この "Fields of Gold" は the Police 解散後(後年一時期再結成)のスティングのヒット曲。エヴァは '聴き入らせる歌' といった感じで聴く者に入り込んできます。ほかの曲でもそうですがホント凄いです。(33歳の1996年11月2日にガンで亡くなられました)

Eva Cassidy Live at Blues Away


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Sunshine Scott Walker (1973's Album "Stretch") Mickey Newbury (1973's Single & Album) Mickey Newbury

 ウォーカー・ブラザース解散後の`60年代後期のスコットはジャック・ブレルの楽曲等を多く歌い、アルバムをイギリスのヒット・チャート上位を賑わしていました。しかし後年、実験的なアルバム製作をするようになり、多くのミュージシャンに尊敬される様には成りますが、`70年代前半の数年間は目立った活躍はなかった時期に成ります。渋い歌声と歌唱力を活かし聴かせるシンガーとしてアルバムを制作していた時期です。このアルバムはロンドン録音ですが、所々にアメリカの自然を感じる曲が多く収録されています、(次作の『We Had It All』というアルバムも同様です) 。この時期のスコットが私的には好きです。エルヴィス・プレスリーを思い浮かべます。
 この "Sunshine" はフォーク・カントリー系のSSWミッキー・ニューベリーの曲でBB誌カントリーチャートで53位位迄しか上がらなかったそれほど知れ渡った曲でもないのにスコットは選んで吹き込んでいます。空気の綺麗な自然の中を歩いているような清々しい気持ちに成る曲です。



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Hang on Sloopy The McCoys (1965's Single & Album "Hang on Sloopy") The Vibrations (1964's Single as "My Girl Sloopy") Wes Farrell, Bert Berns

 後にリック・デリンジャーとして、強烈な歌詞を連発しながらアイドル的なロック・ミュージシャンに成るリチャード・ゼリンガーが17歳の時に弟のランディ達と組んだバンド、マッコイズで吹き込んだ全米No.1ヒット。元は黒人グループ、ヴァイヴレーションズの曲でBB誌30位内に入るヒットを出していた曲です。ジェフ・ベックが加入後のヤードバーズもアルバム内で収録していました。ただ、この曲を世界中に知れ渡らせたのはマッコイズでしょう。そして一躍バンド自体も人気者に成りましたが、その後のヒット曲も他人のカヴァーが主でした。



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Let's Live for Today The Grass Roots (1967's Single & Album "Let's Live for Today") The Rokes (1967's Single as "Piangi con me") Michael Julien, Mogol,
David Shapiro

 ソングライターとして成功していたP.F.スローンとスティーヴ・バリがファンタスティック・バギーズに次いで組んで作ったバンド、グラス・ルーツながら最初の大ヒット曲(BB誌8位)は他人の曲のカヴァーでした。その曲がイギリスで人気の出なかったロックバンド、ロークスがイタリアに渡ってイタリア語で吹き込んだ曲という異色もの。その曲に英歌詞を付けて歌いヒットさせています。(日本語の歌詞を付けて歌ったのはGSバンドテンプターズでこの曲も日本で大ヒットしています)
 グラス・ルーツ盤ライナーによるとロークスのイタリア語オリジナル・ヴァージョンは "泣いておくれ" という邦題で発売されていたらしいです。あちらこちらでヒットしている事からも判る様に良くできた曲です。



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Carifornia Sun The Rivieras (1964's Single) Joe Jones (1960's Single) Henry Glover

 リヴィエラズというグループは [South Bend Central High School] という米ハイスクールの学生たちが作ったロック・グループでオリジナル・ナンバーはなくカヴァー曲を演奏していましたが、ジョー・ジョーンズが`60年に発売して`61年にBB誌のチャート下位の方にチョッコと登場したほぼ無名の曲を5位迄上がるヒット曲に押し上げてしまいました。多くのミュージシャンがカヴァーするまでになり今やサーフィン・ミュージック、サーフ・ロックの代表曲です。
 オールディズ物を聴き漁っていた時期に知った曲ですが、わたしが持っているカヴァーだけでも、アネット・ファニセロ、フランキー・アヴァロン、トミー・ジェイムス&シャンデルズ(ションデルズ)など、持ってはいませんが有名どころではラモーンズなどもカヴァーしている有名曲です。



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Easy Loving Bo & Ruth (1976's Album "Bo Kirkland And Ruth Davis") Freddie Hart (1971's Single) Freddie Hart

 この曲は‘71年にBB誌カントリー・チャートで1位、ポップチャートでも17位のヒットだった様ですが、日本では話題にも上らなかった曲でした。わたしが最初に聴いたのはマイク・ジェイムス・カークランドとルース・ブラウンからなるR&B/Soulデュオの Bo & Ruth のヴァージョンでした。Bo & Ruth は`77年に "You're Gonna Get Next To Me" という曲が本国ではなくイギリスのディスコ・シーンでかけられたのがきっかけでヒットしたことで知られ、わたしも知ることに成ったデュオですが、アルバムは一枚のみの発売。その中に入っていたのがこのカントリー・ソングをサザーン・ソウル風に仕上げた曲でした。中古で入手したLPだけでなく2014年に国内CD化された際も購入しています。



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Chariot (愛のシャリオ)
I Will Follow Him
Petula Clark (1962's Single)
Little Peggy March (1963's Single)
Franck Pourcel (1961's Album "Amour, Danse, Et Violons")
Franck Pourcel (J.W.Stole), Paul Mauriat (Del Roma)
Jacques Plante (French)
Arthur Altman, Norman Gimbel (English)

 ペギー・マーチ (初期はリトル・ペギー・マーチ) が全米1位にヒットさせた "I Will Follow Him" がペテュラ・クラークがフランスやベルギーでヒットさせた "Chariot 邦題: 愛のシャリオ" の英語ヴァージョンだというのは割と知られていましたが、この曲のオリジナルは作者のフランク・プルゥセルが器楽曲として吹き込んだ物だったと云うのをかなり後に成ってから知りました。プルゥセルとポール・モーリアとの共作でしたが、二人とも偽名での発表だったとの事ですが、さすがのメロディ・メーカーらしい曲です。ポール・モーリアも後年に自身の楽団で録音しましたが、その時の邦題が「恋のシャリオ」でこちらの方が現在の仏語版邦題で定着している様です。ただ、アメリカや日本ではペギー・マーチ・ヴァージョンの方が大ヒットして、ペギー・マーチは日本語歌詞でも録音しています。他の部分が日本語なのに「i live him と i will follow him」の部分だけが原語のままでそこがまた印象的なので邦題も "アイ・ウィル・フォロー・ヒム" として定着しています。
 


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Sealed with a Kiss (涙のくちづけ) Brian Hyland (1962's Single) The Four Voices (1960's Single)
Peter Udell, Gary Geld

 甘く切ないティーンポップス・オールディーズのひとつで、長い間 "ビキニスタイルのお嬢さん" で有名なブライアン・ハイランド盤(全米3位ヒット)がオリジナルでレターメン盤の方が日本でヒットした…と思っていました。ブライアンの時の邦題は原題そのままカタカナ表示でしたがレターメン盤で "涙のくちづけ" が定着したようです。レターメンのは日本でのみのヒット。本国ではゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズ盤が19位迄上がるヒットと成っています。
 想いを込めた手紙の封筒にキッスで封印… アメリカでも`60年代は良い時代だったのですね。



Title Singer or Group Original Singer or Group Song Writer
Baby Face (ベビー・フェイス-) Brian Hyland (1960's Album & `61's Japnese Single) Jan Garber & his Orchestra with Benny Davis (1928's Record)
Little Richard (1958's Single)

Harry Akst, Benny Davis

 もう一曲ブライアン・ハイランドがオリジナルだと思っていた曲がこの "Baby Face" 。オリジナルはなんとLP盤もEP盤も発売されていないSP盤時代の楽曲でヤン・ガーバー率いるオーケストラに作詞者のベニー・デイヴィスがコーラスを付けた物が最初のレコードだったという事です! そのうえ日本で有名なブライアン・ハイランド盤は本国でシングル化されずに日本でのみのシングル化だったということも驚きでした。
最初にBB誌にチャートインさせたのはロックンロール・シャウターのリトル・リチャードでかなりロックっぽく成っていますが日本ではリチャード盤はヒットせず。独特の楽しい間奏が耳に残りやすいブライアン盤がずっと残っています。日本のシングルはベイビーではなく "ベビー・フェイス" と昔の日本式発音に成っていました。最初東芝音楽工業から出されていましたが、原盤がMCAに入った為、日本ビクターに移り「ビキニ〜〜」のB面扱いで数度再発されていました。

Brian Hyland / Baby Face


Title Singer or Group Original Singer or Group Song Writer
A Groovy Kind of Love (恋はごきげん) The Mindbenders (1965's Single) Diane & Annita (1965's Single)
Carole Bayer Sager
Toni Wine
Muzio Clementi

 マインドベンダース、Wayne Fontana & the Mindbendersというバンド名で1965年に "Game of Love" という大ヒット曲を放った英ビート・バンドが元々のバンドで、リード・ヴォーカリストで人気者だったウェイン・フォンタナがソロで活躍するために脱退。残された (分解当時は地味) なメンバーだけで活動継続していましたが、この "A Groovy Kind of Love" が大ヒット。マインドベンダース自体はその後に有名なバンド 10CC へと変身していきました。
 このドリーミィーなメロディーを持つ曲はイギリスの作曲家 Muzio Clementi (ムツィオ・クレメンティ) の「6つのソナチネ作品36 ト長調 No.5」の「ロンド」が引用されているという事です。歌詞はその後自身も歌手としてデビューするキャロル・ベイヤー・セイガー17〜18歳時の作品でした。
 ずっと、マインドベンダースで知られていた曲でしたので彼らが最初だと思っていましたが、同年にアメリカの ダイアン&アニータ と云う女性デュオの発売が最初だった様です。ただ、この曲何故か英米で発売されずにフランスのみでの発売だったらしく、そこで英国のグループ、マインドベンダースが取り上げたら大ヒット。
 マインドベンダースの名前はポップス史上に長く残っています。



Title Singer or Group Original Singer or Group Song Writer
Kisses Sweeter than Wine (ワインより甘いキッス) Peter, Paul & Marry (1966's Album "The Peter, Paul and Mary Album" & 7' LP) The Weavers (1951's Single) Traditional
Pete Seeger, Lee Hays
Ronnie Gilbert,
Fred Hellerman

 ピーター・ポール&マリー(PPM)で知った曲ですが、オリジナルはフォークソング界の最重鎮ピート・シーガーが在籍していたザ・ウィーバーズだったという事でした。更に素材音はアイルランドの民謡だったという事。確かにどこかに懐かしさを感じてしまうメロディーを持っていて民謡のメロが素材と言われれば納得です。
 PPMは`60年代が活躍の年代だったのですが、フォーク・ソングがロック化して、忘れ去られていった`70年代突入後も以後に台頭してきたカーペンターズと並んで[健康的・優等生] タイプの代表ミュージシャンとして人気ありました。(別にロックやソウル・ミュージックが不良生向きだとは思わなかったですが…)
 歌詞はウィーバーズのメンバーが書いていますが、庶民的に「小さな幸せ」を大事にしようというほっこりしたメロディーにピタッとハマって微笑ましいです。
Peter, Paul and Mary / Kisses Sweet than Wine


Title Singer or Group Original Singer or Group Song Writer
It's Only A Paper Moon Nat King Cole (1944's Single) Paul Whiteman & his Orchestra featuring Peggy Healy (1933's SP)
Yip Harburg & Billy Rose, Harold Arlen

 とても古い歌です。まだ、LPアルバムを少ししか買う余裕のなかった時期に中古盤で買ったナット・キング・コールのアルバム。その中でこの曲と "(Get Your Kicks On) Route 66" の2曲がジャズ・ヴォーカルと云うジャンルに興味を持ったキッカケの曲です。スィングするピアノに乗ったスィンギーな唱法。フランク・シナトラもそうですが、後年はポピュラー・ソング・シンガーとして活躍しているシンガー、初期はジャズの世界から出てきた人です。二人とも初期の頃の録音は大好きで後年になりには結構買いました。
 インストゥルメンタル・ヴァージョンも多数あり、マイルスを始めジャズ・コンボ演奏物も多数ある曲です。 1973年の映画『Paper Moon』内でもWhiteman のオーケストラ曲が使われていました。映画自体も記憶に残る素晴らしい映画です。
Nat King Cole Best Album



Title Singer or Group Original Singer or Group Song Writer
Come on, Lets Go (カム・オン、レッツ・ゴー) The MicCoys (1966's Single) Ritchie Valens (1958's Single)
Ritchie Valens

 マッコイズ、再登場。「カム・オン、レッツ・ゴー」、元曲はR&R初期のスターでわずか17歳で飛行機事故で亡くなったリッチー・ヴァレンスのヒット曲 (BB誌42位)。日本ではリック・デリンジャーのキャリア・スタートとなるザ・マッコイズのヒット曲としてオールド・ロック・ファンに知れ渡っている曲。マッコイズのヴァージョンはBB誌で22位迄あがり本家ヴァージョンよりもヒットしています。彼らのヒット曲は既に上の方でも取り上げた "Hang on Sloopy" のほか "Fever" などカヴァー曲が殆んどでしが、`60年代のロック・バンドのひとつとして知名度は結構有ると思います。



Title Singer or Group Original Singer or Group Song Writer
Nobody But Me (ノー・ノー・ノー) Human Beinz (1967's Single) Isley Brothers (1962's Single)
Ronald Isley, / Rudolph Isley /
O'Kelly Isley, Jr.

 「ノー・ノー・ノー」の邦題で発売されていた "Nobody But Me" 。`67年夏発売という事ですが、アメリカでBB誌の8位迄上がったのは暮れの12月、日本発売は翌年の春だった様です。オリジナルは "Shout" 等のヒットを持つ、R&Bヴォーカル・グループのアイズレー・ブラザース。本家の方はヒットしませんでしたが、ヒューマン・べインズの方は本国のみならず我が国でも大ヒット。来日コンサートも開催された程でしたが、何故かその後が続かず、一発屋バンドのひとつとして語られています。今はガレージ・ロックとしてのジャンルに入れられているようですが、リズム感絶頂の曲で当時のゴー・ゴー・ダンスに丸ハマりです。
 `60年代のロック・バンドの多くは他人の曲のカヴァーが多く、アレンジの妙でヒットを生み有名になることが多々有ったようです。ビートルズやR・ストーンズがオリジナルでヒットを続けていたことは凄かったと思えますし、それだからこそ今なお伝説バンドで居られるのでしょう。



Title Singer or Group Original Singer or Group Song Writer
Zing Went The Strings Of My Heart The Move (1968's Album "The Move") Judy Garland (1939's Single)
The Coasters (1958's Single)
James F. Hanley

 E.L.Oのジェフ・リンが在籍していた事で知られ地るブリティッシュ・バンドのザ・ムーヴ。この曲収録時のデビュー・アルバムにはまだジェフが参加していない時代の曲です。初期のザ・ムーヴというかこのデビュー・アルバムはポップ調曲にビートバンド風なタッチを少しだけ加えたような曲作りだった様です。
 それがこの曲だけは全く趣が違う曲です。まるっきりの米ドゥー・ワップ・コーラス・グループです。
作者はジャズ畑のジェイムズ・F・ハンリーという人で、ミュージカル・スターのジュディ・ガーランドが最初に歌ったとか、その後、ザ・コースターズがR&B風にアレンジして発表したらしいのですがそれはシングル盤のB面としての事。わたしはガーランドもコースターズもベスト盤は持っていますがこの曲は入っていませんでした。`60年代のイギリス・バンドがこの種のスタイルで吹き込んでいたのがホント意外でした。コーラスもバッチリで充分に気に入っています。

The Move / The Move Re-release in 1992



Title Singer or Group Original Singer or Group Song Writer
I'll Kiss Your Teardrops Away Peter Gordeno (1963's Single) The Laddins (1962's Single)
Bob Elgin, Frank Augustus

 オールディーズ・ソングのページでも取り上げたブラッド・ニューマンの曲が入ったコレクション・アルバム『British Teen Rarities 1960-1965』の中に入っていた曲です。だいたいコレクション物の場合、トップに選曲されるのは先ず選曲者のお薦めでしょう。この曲がトップ収録でした。
 バックのコーラスの付け方など確実にアメリカン・オールディーズ・ポップスそのものです。さすがなのですが、ピーター・ゴーディノ 自身のプロフィールなどは載っていなくて判明しているのは1939年生まれの英国ダンサー、キャバレーシンガーだという事位でした。正式な盤表示は「Peter Gordeno with John Keating & His Orchestra」ですがなんとこの曲はオリジナルでなくオリジナルはThe Laddins というアメリカのドゥー・ワップ・コーラス・グループが前年に発表した曲だったのです。
 ザ・ムーヴもそうでしたが、イギリス人もドゥー・ワップ好きだったのですね。日本でもラッツ&スターを名乗る前のシャネルズ時代やキング・トーンズが歌っていました。

British Teen Rarities 1960-1965



Title Singer or Group Original Singer or Group Song Writer
When My Dreamboat Comes Home Brenda Lee (1960's Album "This Is...Brenda") Guy Lombardo and his Royal Canadians (vocal : Lebert Lombardo) (1936's SP)

Dave Franklin, Cliff Friend

 持っていて最初に聴いて気に入ったのはブレンダ・リーのヴァージョンでした。カントリーっぽいアレンジのオールディーズ・ポップスと云った感じでノリがよく軽快な曲です。オリジナル・シンガーは誰なのか?と探したらファッツ・ドミノが1956年にBB誌Hot100で14位のヒットさせていました。ただ、ファッツ・ドミノがオリジナルでもなく、ファースト・レコーディングは「ガイ・ロンバードとロイヤル・カナディアンズ−ヴォーカル:レベルト・ロンバルド」というグループが LP回転は勿論、EP回転も無かった時代のSP回転盤時代の1936年に録音、1937年初頭にヒットした曲だと判りました。無茶苦茶に古い曲だったのですね。(元のヴァージョンは勿論ポップ調ではありませんでした)
*ちなみに何故か Lombardo のカタカナ表記で、お兄さんがガイ・ロンバードで弟さんがレベルと・ロンバルドの表記でほぼ統一されている様な感じです?




Title Singer or Group Original Singer or Group Song Writer
Down By The Riverside Jackie DeShannon (1971's Album "Songs") circa 1920
American Traditional spiritual

 アメリカン・トラディショナルで既に19世紀半ば頃から歌われていた黒人霊歌だと云われている曲です。最初にレコーデイングした人は判りませんでしたが1920年代にはいくつかの録音が有ったようです。
わたしが最初に買って聴いたレコードはエルヴィス・プレスリー、カール・パーキンス達ロック・レジェンドの Million Dollar Quartet の SUN レーベルでの1956年録音盤です。その後、ラジオやテレビで色々な人が歌っているのを聴いてはいますが、レコード盤で買ったのは少なく、このジャッキー・デシャノンが二回目でした。カントリー・ロックへのアレンジはこの後に二度目の夫となるランディ・エデルマンでした。




Title Singer or Group Original Singer or Group Song Writer
Rose Garden Lynn Anderson (1969's Album "Rose Garden" & 1970's Single) Billy Joe Royal (1967's Single)
Joe South

 "ローズ・ガーデン" この曲は日本でもかなりヒットしていました。洋楽に殆んど興味のない人でも知っていたと思います。CBS/Sony が大量に出していた編集アルバムにはほとんど収録されていました。本国でもBB誌HOT100の3位、CB誌で1位迄上がるヒットで、カントリーチャートでは勿論1位。長らく彼女の持ち歌だと持っていましたが、初録音シンガーが別にいて更に作者がジョー・サウスだったのだという事、かなり後に知りました。ジョー・サウスは OLdies Rocks "Games People Play (孤独の影)" で彼のオリジナルヒット曲を取り上げていますが、自身の録音よりも早くビリー・ジョ−・ロイヤルという人が録音しており、本人の物は1968年にセルフ・カヴァーとしてシングル発売され、翌年のアルバム『Introspect』に収録されていました。わたしの所持盤は『Joe South Anthology』という`99年リリースのベスト盤です。
 リン・アンダーソンは本国で21世紀に成っても活躍を続け、数々の音楽賞を授与されていますが、日本では一発屋的存在なのは少し可哀そうな気もします。




Title Singer or Group Original Singer or Group Song Writer
Bumble Bee The Searchers (1965's US Single & UK Album "Sounds Like Searchers") LaVern Baker (1960's Single)
LaVern Baker,
Leroy Fullylove

 英国ビートグループで初期から活躍しているサーチャーズ、`70年代以降は名前も目にせずオールディーズバンドだと思ていましたが、21世紀に成っても活動していたのですね。`60年代のビートグループの多くはアメリカ産ヒット曲のカヴァーでヒットを飛ばしていた (B4やRS5はデビュー後すぐにオリジナルで勝負) ので「`60s Rockページ」で取りあげられないのでここでの記載になるのですが、ヒットするのは当然だと思える程に魅力ある演奏もあることは確かです。
 ラヴァーン・ベイカーは割と有名なR&Bシンガーですので私も少しはもっているのですがこの曲のベイカー盤は持っていません。ただ聴いたことはあるのですがやはり`70年代の気持ちではビート・グループたちの演奏の方が新しい音楽の感じでした。チャック・ベリーやリトル・リチャードも凄くて好きですが、ちょっと古さを (当時は) 感じていました。21世紀に入ってかなり立ちますが今聴いてもサーチャーズのヴァージョンは個人的に時代を感じさせないです。




Title Singer or Group Original Singer or Group Song Writer
There's a Kind of Hush (見つめあう恋) Herman's Hermits (1967's Album "There's a Kind of Hush" & Singles) The New Vaudeville Band (1966's Albume) Geoff Stephens, Les Reed
 
 ハーマンズ・ハーミッツはビート・グループというジャンルのバンドではなくポップ・バンドとして認識されていると思います。ビート・グループ全盛の本国イギリスよりアメリカや日本での人気が高かったグループでした。オールディーズ・ソングのページ内で "Listen People", "Don't Go Out into the Rain" などを記していますが彼等のヒット曲のいくつかは 例えば "I'm into Something Good 朝からゴキゲン" がクーキーズの曲のように、他人の曲を歌って大ヒットさすことも多かった様で、この曲もそのうちの一曲。最初の録音は "Winchester Cathedral ウィンチェスターの鐘" の全米No.1ヒットを放ったニュー・ボードヴィル・バンドで、"Kind of Hush" というタイトルで「ウィンチェスターの鐘」収録アルバム内でした。
 ハーマンズ・ハーミッツのシングルは全米BB誌HOT100の4位、イギリスでも7位のヒット成り、その後カーペンターズが1976年にリバイバルヒットさせていました。カーペンターズ・ヴァージョンのタイトルは "There's a Kind of Hush (All over the World)" でした。




Title Singer or Group Original Singer or Group Song Writer
Moody River (涙のムーディー・リバー) Pat Boon (1961's Single) Chase Webster (1961's Single)
Gary D. Bruce

 パット・ブーン6曲目の全米No.1ヒットと成った "Moody River" 、パット・ブーンが連続でヒットを飛ばしていた初期は流石に知らくて有名な「砂に書いたラブレター」「四月の恋」等の様に純ポピュラー系の歌手だと思っていました。この曲は`70年代後半オールディーズ・ポップスにハマった時期に知った曲でした。 `60年代初期のアメリカン・ポップス全体を思い浮かべることが出来る曲です。ただこの曲をほんの少し早くレコーディングしたのは作者であるチェイス・ウェブスターという人だったのです。でまた、この歌手の本名が Gary Daniel Bruce さんで、ソングライター名義では "Gary D. Bruce" を使用しているとか…
 全く日本では無名の人のうえ、自身の盤もヒットしなかったためにパット・ブーンがオリジナル歌手で彼の持ち歌だと思っていました。




Title Singer or Group Original Singer or Group Song Writer
Twist and Shout The Isley Brothers (1962's Album)
The Top Notes (1961's Single)
Bert Berns (Bert Russell), Phil Medley

 この曲はロック・ファンの殆どが知っている曲で、ビートルズが日本に広めた曲というイメージがあります。ただ、20世紀中にはビートルズがカバーしたオリジナル楽曲の編集盤がLP時代、CD移行以降も数種出ていました。そのどれもが「ツイスト&シャウト」のオリジナルとしてはアイズレー・ブラザース・ヴァージョンが収録されていた様です。確かに最初のヒットヴァージョンはアイズレー・ブラザースだったのですが、ファースト・レコーディングは名門 Atlantic から出した R&B グループのトップ・ノーツだった様です・
 この曲の作者バート・バーンズ(最近はバート・ラッセルでの記載も多い=本名はBertrand Russell Bernsとのこと,)は早死でソングライターとしての活動は7〜8年ほどながら多くのヒット曲を作った人としてオールディーズ好きには知られています、上の方の "Hang on Sloopy" もそうです。『Bert Berns Story』という作品集がVol.1〜Vol.3迄三種出ています。わたしはVol.2迄買いましたがここでもアイズレー・ブラザース・ヴァージョンでの収録でした。




Title Singer or Group Original Singer or Group Song Writer
Two More Bottles of Wine Emmylou Harris (1978's Album "Quarter Moon in a Ten Cent Town" & Single) Delbert McClinton (1975's Album ) Delbert McClinton

 BB誌カントリーチャートで1位になったヒット曲です. . .(ただ、ポップチャートにはチャートインしていない様です)。
 エミルー・ハリスという歌手、グラム・パーソンズやリンダ・ロンシュタッドとの係わりも多く、レコードも初期の頃は連続ですべて買っていました。ただ、オリジナル曲が少なく既成カントリー・ソングのカヴァーが多い人ですので余程の特出したインパクトが無い曲以外はカセットテープに入れて聴くことは少ない歌手でした。
 この曲のオリジナルは "Giving It Up For Your Love 君にギブ・アップ" という曲のヒットを持つデルバート・マクリントンが自身のアルバム『Victim Of Life's Circumstances』内で発表した曲。
 この曲はカントリー・ソングと云うよりカントリー・ロックに属するジャンルの曲で、エミルー・ハリスにしては最もロック寄りだと思えた曲です。




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Someday Soon Suzy Bogguss (1991's Album "Suzy Bogguss") Ian & Sylvia (Single-Bside) Ian Tyson

 カナダ出身のフォーク・デュオ (当時は夫婦) で、`60年代にアメリカに渡り、中頃ニューポートで開かれたフェスティヴァルを皮切りにフォーク・ソングのリヴァイヴァルが起きた時期に活躍したデュオでした。、同時期日本でもジョーン・バエズ、ピーター・ポール・アンド・マリー等の曲がラジオでも良く聴けました。イアン&シルヴィアは名前こそ記憶にありますが印象に残った曲は有りませんでした。(日本では "Early Mornig Way 朝の雨" がヒットしていたそうです)
 スージー・ボグスのこの曲を聴いた時、大好きなリンダ・ロンシュタットのストーン・ポニーズ時代を思い起こさせる声質、ヴォーカルで速攻気に入りました。作者名を見てスージーのオリジナルでない事を知りました。
 ほとんどの女性カントリー・シンガーは自作でなく他人の曲のカヴァーが多いのですね。自作曲の多いのはドリー・パートン、そして売れっ子シンガーに成るとソングライターから曲を提供して貰える様に成るのでしょう・




Title Singer or Group Original Singer or Group Song Writer
Frenesi (フレネシー) Julie London (1963's Album "Sings Latin In A Satin Mood") Ramón Armengod (1939's SP Single)
Alberto Domínguez Borrás

 ジュリー・ロンドンは女優としてデビューした人ながらもジャズから出発したシンガーとしての知名度の方が日本では高いと思います。歌唱法でのジャンルでは歌い上げる人では無いのでペギー・リーと似たタイプの歌手でしょう。
 ペギー・リーをよく聴いていた時に、一緒にジュリー・ロンドンのアルバムもそこそこの量を買っていました。その中で『Sings Latin In A Satin Mood』が大好きで特にトップのこの曲 "Frenesi" が凄く好きで以降、ラテン音楽にも興味を深めていきました。作者はメキシコのアルベルト・ドミンゲスという人らしく、一般に広めたのはアーティー・ショー楽団というビッグバンド・ジャズだという事です。この曲のカヴァーはかなり多く、わたしも、リンダ・ロンシュタット、ベン・E・キング、カテリーナ・ヴァレンテなど持っていますが、このジュリー独特の物悲し気な歌い方が何とも言えなく彼女の歌い方がピッタリとハマった最高のヴァージョンだと思います。大好きです。




Title Singer or Group Original Singer or Group Song Writer
House Of The Rising Sun (朝日のあたる家) The Animals (1964's Single & US-Album "The Animals") Unknown
American Traditional

 この曲を知ったのは多くの人がそうであった様にわたしもアニマルズのヴァージョンです。英米No.1ヒットをはじめ多くの国でヒット・チャートの上位に上った曲です。ヒットの要因はアメリカン・フォークのトラディショナルとは思えぬアラン・プライスの大胆なアレンジで一気にアニマルズ及びヴォーカルのエリック・バードンの知名度がアップした曲です。アニマルズやボヴ・デイランの単独物も持ってはいますが、この曲ばかりを20ヴァージョン集めた編集盤も発売されています。`77年にリヴァイバルヒットさせたサンタ・エスメラルダのディスコ・ヴァージョンも含まれています。
 すべて聴き比べてもやはり、アニマルズヴァージョンが最も印象深いです。
House of the Rising Sun 20 Versions



Title Singer or Group Original Singer or Group Song Writer
Don't Let Me Be Misunderstood (悲しき願い) The Animals (1965's Single & US-Album "Animal Tracks") NIna Simone (1964's Album)
Bennie Benjamin, Horace Ott, Sol Marcus

 この曲もカヴァー・ソングながら今では彼らのオリジナルだと思えるほどに大ヒットした曲。リバイバルでの大ヒットもサンタ・エスメラルダのディスコ・ヴァージョンで上記『朝日のあたる家』よりも先にヒットしており日本でもかなりヒットしていました。また日本語歌詞で尾藤イサオも大ヒットさせた曲です。
 `60年代洋楽ソングで日本語ヴァージョンのヒット多くは英仏ソングが多かったのですが、アメリカ産ソングでは一番ヒットしたのではないでしょうか?
 ちなみにこの曲も上記の曲も当時は各国バラバラに発売していた時期で、イギリスでは最初シングルのみで、アルバム収録は米盤編集のそれぞれファースト、セカンドのアルバムのみでした。




Title Singer or Group Original Singer or Group Song Writer
In My Room (孤独の太陽) The Walker Brothers (1966's Album "Portrait" & Single) Unknown Joaquín Prieto, Paul Vance, Lee Pockriss

 アニマルズもそうだったのですが、`60年代洋楽グループでビートルズに次いで人気だった (スコットが居たおかげ?) ウォーカー・ブlザースもヒット曲の殆どがカヴァー・ソングでした。( "ダンス天国"や"太陽はもう輝かない"、"ラブ・マイナス・ゼロ" など)
 その中で日本でのみシングル化されてヒットした曲がこの曲でわたしも彼らの中で一番好きな曲です。よくぞ日本でシングル化してくれたものです。ただこの曲の最初の録音者は判りませんでした。
 作者はホアキン・プリエート (Joaquín Prieto) というチリ出身のソングライターで元歌詞はスペイン語、ウォーカー達が歌った時は英語歌詞が付けられていました。そして "La Novia ラ・ノビア" のヒットを持つ歌手で俳優の アントニオ・プリエート (Antonio Prieto) が兄弟さんで、 "La Novia ラ・ノビア" もホアキン・プリエート作、もしかしたらこの人が吹き込んだ歌だったのかも知れませんが、誰も吹き込まないまま英語歌詞が付けられてウォーカー達が最初だったのかも知れません。 (ここではとりあえずカヴァー・ソング項にて記します)
 元歌を知らないのでわかりませんが、スコット・ウォーカーの深みの有る声にピッタリの曲です。エコーがかかっていると思いますが暗闇の奥の方から語り掛けてくれるような曲で『西欧』の雰囲気たっぷりです。作者は南米人、スコットを含めメンバー全員北米人・・・、イギリスへ渡って成功したことが解るような彼らの音楽性です。




Title Singer or Group Original Singer or Group Song Writer
Love Me Tonight "Alla fine della strada" Tom Jones (1969's Single) Junior Magli (1969's Single)
Lorenzo Pilat, Mario Panzeri, Daniele Pace
Dave Mason

 「ラヴミー・トゥナイト」として知られ世界中でヒットした曲。この居kの原曲は "Alla fine della strada" というタイトルで`69年のサンレモ音楽祭で披露された曲、会場で歌ったのはジュニア・マグリとザ・カジュアルズ。(音楽祭の規定で必ず二人若しくは二組で披露するとのこと)
 ほとんどが歌った二人(二組)がその後、ジュニア・マグりが最初にレコーディングして発表。その半年後位にデイヴ・メイソンが英語歌詞を付けてトム・ジョーンズが発表してヒットしたという曲です。ザ・カジュアルスのヴァージョンも少し経って東芝からシングル盤が出ていました。
わたしは日本のピンク・レディがアメリカ・デビューした際に彼女たちの米盤LPを買ったのですがその中にこの曲のカヴァーが入っていました。ただその後そのLPは手放したために今は聴くことできません。
Love Me Tonight / Tom Jones